「ぜんぶいる!」からの卒業
限りあるスペース、限りある時間のなかでモノやコトの優先順位をつけるのは生活するうえで必要なこと。
とはいえ、すんなり順位づけできない場合もあります。
わたしが片づけに興味を持ち始めたころから、長女はもちろん当時2歳そこそこだった長男とも片づけをしてきました。
ご想像のとおり、撃沈を繰り返してきました。
・今どのおもちゃで遊ぶのが好き?
・いつも遊ばないけれどとっておきたいおもちゃはある?
・もう遊ばないおもちゃは?
・どうしようか迷っちゃうおもちゃは?
こういった問いかけをするのですが、そのたびに「ぜんぶいる!遊ぶから!」の一択、一点張り。
そして久しぶりに目にしたおもちゃで遊び始めてしまうというパターンをたどっていました。
そしてわたしのガラスのハートが砕け散るのも定石でした。
「ぜんぶいる!」、すなわち優先順位がつけられないのは、いくつかの原因が考えられます。
①モノのもつ情報量が等しく感じられる
②優先順位をつけることが感情面に影響する
③優先順位を間違えたくないから判断したくない
④自分にとっての判断基準がはっきりしていない
⑤自分とモノと向き合って判断するのが困難
などなど。
とくにお子さんの場合は①や④、⑤が大きいのではないでしょうか。
今回も「ぜんぶいる!遊ぶから!」とくるだろうなあと覚悟しながら分け始めました。
すると、「これはもういい」というモノが現れました。
前進した理由を掘りさげる
どんな判断基準が本人の中で芽生えたのか、急に分けることができるようになった理由は何か?
ここを言語化できれば、片づけのファーストステップ「分ける」の一助となるのでは、とはやる鼻息を押さえて尋ねてみたところ、「わかりません」というお答えでした。
そこ!ネタとして欲しいところ!!
というわたしの心の声は置いといて、おとなしく考えてみます。
今回彼が主に手放したのは、絶賛増殖中の折り紙の作品やお絵かきをした裏紙、おまけでもらった小さなおもちゃ。
わたしから見てこれらに共通するのは「思い入れが少ない」こと。
・作ったり描いたことで満足した。
・もらったときは嬉しかったけれど欲しくてもらったわけではない。
これらとマイベストなおもちゃ(LaQ野郎です)が混在していて、スペースからはみ出してしまっていることを認識し、本人の中で線引きができるようになったと考えられます。
使用頻度だけが分ける基準ではない
このことから片づけるモノが多い場合、思い入れが多い少ないは分ける基準として組み入れやすいのではないでしょうか。
思い返せばその昔、「コレ遊んでないでしょ」「それもう使ってないがん」と迫るわたしと「遊ぶ!」「使う!」と抱え込む彼とのやりとりがありました。
わたしは使用頻度で分けるのがしっくりくることが多いのですが、彼に当てはめるのは酷なことだったんですね。すまん息子よ。
「よく使う」「あまり使わない」といった使用頻度で分けるのがしっくりこないときに試してみる価値はあると思います。
ご自身の分ける基準、どんなものなら無理なく分けることができそうですか?